おまめの日常

日常で見つけた気になる商品や思いを綴っています。

左ハンドルの外車

 左ハンドルの英車を廃車にして、数年間は国産車乗りになり、

心が踊るような車生活とは無縁な日常を過ごしていた。

どうやら自分は、心が踊るような車生活を過ごしたい人間で、

それができないことにストレスを感じるようで、

外車を手に入れるべく、活動を開始した。

今も変わらないが、お金に余裕はない生活を送っているので、

故障が多い車両や、維持費がかかる排気量の大きい車両も

現実的ではなかった。

総合的に判断して、ドイツ車の情報収集を行った。

・・・ドイツ神話というのか、頑丈で精巧なイメージを

ドイツ車に対して自分は抱いていた。

メルセデスBMWフォルクスワーゲン・ポルシェ。

このなかで、一番の大衆的なメーカーはフォルクスワーゲン

その当時はゴルフ Ⅲ が現役の頃で、

見てくれはあまりパットしない感が漂っていたように記憶している。

派手さがないので、本当に輸入車が好きな人って感じがして、

そのうえ、輸入車の中では故障も少なく安心感がある。

そこで選択したのは、ゴルフ Ⅱ カブリオだった。

オープンエアーで4シート、左ハンドル。

しかも電動なので、ボタン一つで即オープンな車両だった。

予算的にクラシックは無理だったので、グレードは普通のカブリオ。

カブリオレとは言わず、カブリオって呼ぶのに理由はあったが、

今となっては、思い出すことさえできない。

左ハンドルの外車

英国車の左ハンドル。

まったく本国仕様ではない並行輸入車を所有して、

10ヶ月が過ぎたころ、その事件が起きた。

当時、まだ若く血気盛んだったため、事故は自分に無関係だと思っていた。

それまでは。

道路のセンターラインが黄色いのは、ラインからはみ出して

追い越しをするのが禁止されている。

 前にノロノロと走行している車がいたら、センターラインの色など気にせずに、

迷わずアクセルを目一杯踏み込んで走るべき。と考えていた。

その日も、これからどんなことが起こるか知る訳もなく、

センターラインが黄色の下り坂を、アクセル全開で走行していた。

当然、前を走っている車がどんどん近づいてくる。

当然、前を走っている車を躊躇うことなく追い越す。

その時、前を走っている車が右ウインカーを点灯させて右に曲がる動作を始めた。

当然、できることは何もなく、前を走っていた車の右後方に激突した。

その瞬間、何を思い、何を考えていたのかは今となっては覚えていない。

もちろん、それまでの人生を振り返るような映像は見えてこなかったし、

スローモーションの世界に切り替わることもなかった。

ただ、前を走っていた車が勢い良く建物に向かって突進していくのを見つめていた。

流行っていたのか、過ぎ去っていたのか分からないが、

バック・トゥ・ザ・フューチャーのような光景が広がったことを覚えている。

左ハンドルの外車

他の人との違いに価値を感じ、外車に興味が湧いてきた。

アメリカ、イタリア、フランス、イギリス、そしてドイツ。

様々な国のメーカーがあるが、購入するには手にする給料に

見合った車両でなければならない。

まだまだ外車の知識がなかった当時、イギリス車は右ハンドルの国。

このことすら知ることがなかった。

結局、外車一号車となったのは、ローバー ミニだった。

それも左ハンドルのキャブ車の並行輸入車を。

イギリスは右ハンドルの国ということを知ったのは、

購入して、しばらくしてからのことだったが、

知ってから複雑な思いになった。

それ以外にも、並行輸入車とディーラー車の違いがあることも知り、

更に複雑な気持ちになった。

メンテナンスができる店で購入していれば、並行輸入車でも

さほど問題はないことも、のちのち知ったことだったが。

どうも気持ちだけが先攻してしまい、情報収集がおろそかになってしまう。

そんな性分のようだった。

キャブ車がどんなものなのかも知らずに、ある日エンジンをかけて

出かけようとしたら、回転数が上がったまま降りてこなくなり

困ったことがあった。

早速、購入した店に連絡をして、引き取りにきてもらったところ

キャブが詰まっているとのことで、キャブ清掃をして

復活したことがあった。

聞くと、定期的に清掃をしなければならない箇所だったようだ。

今では、そこで一つ勉強をしたと思っている。

 

タイヤのついた乗り物が好き

バイクに乗るまでのこと

高校生のときにあった、バイクの三ない運動

「免許を取らせない」「買わせない」「運転させない」の影響なのか

興味を持ったのは、車のチューニングだった。

しかし、気が小さい自分は、峠道を高速で走って事故ったときの

修理代のことを考えてしまい、ゼロヨンを選択した。

そこに集まる人、祭りのような雰囲気も心地が良かった。

公道でゼロヨンをしていたので、警察が取り締まりにきたら、

捕まらないように逃げるという刺激もあった。

 

当時はあまり深く物事を考えて生きていなかったので、

つぎ込んだお金に比例して車は速く走る。なんて考えていなかった。

その頃は、車に対してこんなことを感じていた。

タイヤが4つあると安定するから安心。そして、自分の部屋よりも快適な空間。

 

バイクの三ない運動の影響なのか、タイヤが2つだと不安定で転倒したら大怪我。

気が小さい自分は、そんな考えだったのでバイクに興味は持たなかった。

興味の中心が車になり、チューニング熱が醒め始めてきた頃、

今度はカスタムというものを知った。

同じ車に乗っている人の車よりもカッコ良くする。

そして誰よりもカッコいい車に仕上げる。

カッコ良くするためだけのローダウンやエアロパーツ、

カスタムに興味がない人が見たら、どこが変わったのか分からないような

自分だけのコダワリ。そんなことに夢中になった。

 

タイヤのついた乗り物が好き

バイクに乗るまでのこと

バイクに目覚めるのは、とても遅かった。

車に惹かれてバイクに興味が湧かなかった。

 

自動車デーラーに行きカタログをもらい、それを眺めるのが好きな子供だった。

細かな造形などを見て楽しんでいたいた記憶はないが、

何を眺めて楽しんでいたのかは、今となっては分からない。

とにかく格好いいもの! そんな感じだったと思う。

 

当時、我が家にはエアコンがなく、夏は暑くて冬は寒い。

夏は扇風機からの風で暑さを凌いで、冬はストーブで暖をとって。

そんな生活をしていた。

免許を取得できる年齢になり、車のある生活をして驚いた。

なんて車は快適なんだろう!

暑いときは ACボタンを押すだけで冷風が吹き、寒いときは熱風が吹く。

家の環境と比べ物にならないほど快適だった。

 

当時は、いまと違いスポーツカーが巷にあふれていた。

薄っぺらで流れるような形のボディ。

なんて車はカッコいいんだろう!

自分を引き立てるための道具としては最高だった。

当時は夜中となれば、車通りの少ない直線道路にハイパワーな

車が集まりゼロヨン大会が開かれていた。

ガソリンも今より安く、1リッター90円台で、あまり燃費を

気にすることなく、走らすことができた。

 

マフラー、コンピューター、足回り、エアロパーツ・・・。

カスタムすれば更に速く走り、見栄えが良くなり、

そうして車の魅力に惹かれていった。

 

この頃、バイクに興味を持つことはなかった。

おまめ の視点

【八方塞がり】

陰陽道(おんようどう)で、どの方角にも障りがあって何もできない状態。

② とるべき手段がなくなり途方に暮れること。 「 -でお手上げだ」

大辞林 第三版より

 

思ったように生きられているなら、そんなことも考えないだろう。

なにか良い方法がないかと考えたり、悩んだり。

・・・それでも良い解決法が見つからず、そんなことを繰り返す日々。

そこで、いつもと違う行動をするため記すことにした。

だけど思いを表現するのは難しい。

 

生きていくために仕事をして、そこには家族があり。

仕事も家族も感じるのはストレスだけで、でも投げ出すこともできない。

不甲斐ない自分を情けなく感じるが、やはり変える事ができない。

ストレスフルに毎日を過ごすのは辛いので、

物事の捉え方を変えてみようとするが上手くいかずに、また悩んだり。

生きるために必要な事柄が徐々にバランスを崩しだしているように思え、

軌道修正を試みるが上手くいかず、日々の生活が苦痛になってくる。

 

この負のスパイラルから抜け出したい。

そう思ってもなかなか抜け出す事ができない。

こんなとき、他の人たちはどうやって抜け出しているのだろう?

 

世の中では理不尽なことが起きて、自分よりも大きな困難に

立ち向かっている人はたくさんいる。

そんな人たちからすれば、ただの甘えなのだろうか。

だんだん自分自身が分からなくなってくる。